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Ten Years Gone.

2010年12月30日 23:55

2010年、年末。
上京してまる10年。節目の年の終わり。

3652日。
めまぐるしく変化をしていく世の中と環境の中で
整理して振り返りをすることはなかなか難しいが、
その10年という時間は総体として、確実に転換点となっている。

10年という時間の経過。
経過する時間のなかで色々なものを得て、一方でなくして、
縁と蓄積したものを胸に次の10年に転がって行く。

もてる時間は有限。
考えて、無鉄砲に、未来に転がっていく。



Best Book Of The Year 2010

2010年12月23日 12:06

2010年も残りわずかということで。

水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)水滸伝 1 曙光の章 (集英社文庫 き 3-44)
(2006/10/18)
北方 謙三

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北方謙三による「水滸伝」全19巻。
今年は「北方水滸伝」と同氏の同じ中国モノである「楊家将」
「血涙」、それに高島俊男による水滸伝の解説本と、
中国歴史小説に入門、のめり込んだ一年でした。
本作、19巻はさすがに長いと思っていたが、テンションの落ちない
強烈に引き込まれる面白さで、二ヶ月かけて読破。
(熱中するあまり電車乗り過ごしたこともありました)
先日完結をした本作の続編の「楊令伝」は来年の楽しみに。
「北方三国志」は現在手元に・・・。


ほか作品では、アメリカ文学にも食指を。
キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
(2006/04)
J.D. サリンジャー

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ティファニーで朝食を (新潮文庫)ティファニーで朝食を (新潮文庫)
(2008/11/27)
トルーマン カポーティ

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上の二作は、やはり名作。
(少年、ホールデン・コールフィールドの見る世界には、
心を揺さぶられる感じがする。)

他、渡部昇一、五木寛之を散読。
人間としての根幹を培いたいと思います。

レッド・ツェッペリンに関して

2010年11月21日 03:32

既に語りつくされている事柄、既に何らかのコンセンサスが
取られている事柄というのは、逆に素人の自由な解釈が許される
事柄なのではないかと思う。
議論の素地がしっかりとしている分、それら素地を構成する
ファクターをいじくりまわしてみる価値があると思う。

そんな、思いつきの観点の俎上にレッド・ツェッペリンあげてみる。

ツェッペリンを一言で言うとなんだろうか。
思いつくのは、「最強」だ。最高のギタリストと最高のボーカリスト、
最高のベーシスト、最高のドラムが最高の曲を演奏している。
つまりは「最強」なわけだ。
と、書くと様々異論が出てきそうな感じもするが、これはもう
ツェッペリンに関して書いたり、話したりする上では前提にすべきだと
思う。
(ここで、いやいやジミヘンのほうが、スティーヴ・ウィンウッドが、
ビートルズの曲がといった各論に入ると、いつまでたっても本題には
入れないだろう)
皆さん色んな思い入れがあるのは分かりますが、ここはもうオトナになり
ましょうということでOKですね。

で、議論の前提をツェッペリン=最強とした上で、なぜ彼らが最強であるのか
考察というか勝手な解釈をしてみる。

ツェッペリンを構成する四人のメンバーそれらが最高である
ということに関し、それはいくつかの意味を内包しているが、
大くくりにすると下記の二つになると思う。
ひとつは、プレイヤーとしてのテクニカルな点である。
各人が類稀なる演奏能力を擁しており、それが最高の曲を演奏する
上での素地となっている。
(と、書くといやいやペイジのネブワースでの演奏は酷いもの
じゃないか!とかとか色々言われそうだが無視)

ふたつめは、技術に囚われないクリエイターとしての発想力の強さだ。
ペイジのコンポーザーとしての技量、実験的な音作りの発想。
ジョンジーの「ビート」に関する独自解釈。。。
(その解釈から生み出されるグルーヴはThem Crooked Vulturesでも健在)

それら、確かな技術力とそれに裏打ちされた発想力は、何をもたらしたか。
彼らを転がし続けることになった。
あふれ出す発想、実験精神は、彼ら自身をひとつのところに留めることなく、
あらゆる領域へひきまわすことになったのだと思う。
(技術力の高さがそれを可能にもしていたのだろう。)
その結果、範疇が広くそれでいて、研ぎ澄まされていくにしたがい
彼らの楽曲は最強となっていったのではないか。

素材は限りなく多い方が、料理人の腕前・発想力は限りなく高い方が、
そこから生まれる料理が最高になる蓋然性は高まるのだと思う。
(1stから4thにかけて聴き直しをすると、彼らが色々な要素を取り入れ、
咀嚼していくのが分かる。4thでこれまでのルートの一旦の完成をさせ、
それ以降、別路線へ進んでいくことになる)

結果、後世の幾人かの人に「既にロックミュージックはツェッペリンによって
果実を全て喰い尽くされている」といわせしめることとなったのだろう。
つまりは最強だと。

(この手の話題はこの各論が多岐にわたっており、収集つかなんじゃないかな。
感情的な思い入れがあるし、定義も難しい領域だから。
もう、むりやり結論づけていかないと)

と、アラユル議論の枝をそぎ落として、非常に単純化して考えてみたが、
整理して記載をすると、
 A、実力がある
 B、発想力がある
 C、A×Bによって、その域内を極限まで網羅する
 D、全てを把握した上で咀嚼する
 E、Dの結果最強のものができる
ということであろうか。

(前段でコンセンサスが取られている事柄~と書きながら、書いているうちに
全然とられていないことに気づきました・・・。ケンシロウとゴクウどっちが強い
みたいな議論であると・・・)

そもそも問題ではない

2010年09月20日 23:02

相手の論理・態度の壁、どこかに脆さ・綻びが出た瞬間、
機を逃さずそこに一点突破するべく圧力をかけ続け、
堤防を決壊させるように、相手の論理を覆し飲み込む。

最初は拡大解釈、ついで情報操作、プロパガンダによる
問題の本質の変形と拡散。
嘘や詭弁、言い掛かりも百回千回言いつづければ正論となる、
南京事件を捏造し、天安門事件を無かったことにし、
チベット侵略の口実をつくった中国のお家芸とも言える
やり口に乗ってはいけない。

火のないところには煙はたたない。
火は無いのであるから煙はたててはいけない。
毅然と、火はないということを国際世論に明確に打ち出す。
そして、それで終わらせること。
ヤクザのやり方に屈してはいけない。



(このまま、堤防を決壊させるような事態となれば、中華思想
という洪水は尖閣諸島のみならず沖縄・九州を飲み込むだろう)

走るときに聴く音楽

2010年09月13日 00:09

走ることが楽しい。
無心で、ただ、走る。

歩いているときには気がつかない地面の凹凸、
勾配が、脚に食込むように負荷をかけてくる。
体中から汗が噴出し、呼吸が乱れる。

限界近く、体全体がバネになったように、風のように
心地よく感じる瞬間、ランナーズハイ。
それは、ダンスミュージックとアルコール、
レイヴの脳内麻薬がほとばしる感覚、陶酔感に似ている。
自分は無限に走ることが出来るのではないかと思えてくる。







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